神道、神社の成り立ちについて思う ⛩

 日本には古来から自然や山や大きな岩石や樹木などにも神が宿ると言う考え方があり、勿論偉大な歴史上の人などが神として祭られています。その象徴が神社であり、全国に沢山存在し、小さな村などにもお宮さんとして存在し、季節ごとに祭り事を行ってきて、大切な地域の行事として引き継がれて来ています。
 山の神様として富士山信仰・熊野信仰、白山・御岳等の他、全国に点在し、水や滝も神が宿るとされており、海の神様として金刀比羅宮や宮島の厳島神社も有名です。飛鳥時代に仏教が伝来して以降は仏教と神道との混交がおきて、修験道が盛んになるにつれ、山岳信仰が仏教に取り入れられて、お寺の門まで山門と呼ばれて、寺の名前に山がつけられるようにもなりました。
以後、明治時代になって神社とお寺の分離が行われ、神社・神道が国家の守り神として見直しが行われましたので、神社は目出度いことの神事に起用され、寺は死者を守る役目になり下がってしまうのですが、民間信仰として仏教は強く大衆に慕われ続けています。
 今回、神社の成り立ちやその精神的な裏付けとして新たに見直しをするきっかけは梅原猛氏(哲学者・文学者)の著書に啓発されたのが元です。すなわち神社が祭っている神と言う物の実態は、時の政権に逆らって処刑された罪人ばかりじゃないか? から始まります。特に飛鳥時代から奈良時代へかけては大陸から多くの難民が押し寄せて、渡来人が沢山の武術、技術、芸術を持ち込み、彼らの技で平城京・平安京の建設が出来た上、軍隊の力も向上したと言われます。当然権力争いにも一定の影響力を及ぼしたと考えられます。
有名な中大兄皇子による大化の改新で滅ぼされた蘇我氏、それ以前に蘇我氏との勢力争いで滅ぼされたと言う物部氏や大伴氏、有名な聖徳太子も後に滅された筈です。また、平安時代に権力に逆らい真(まこと)を通したため九州へ流罪になった菅原道真や関東で反乱軍を挙げた平将門、悲運の崇徳上皇などが全て神として祭られていること、八幡宮が征服された隼人族(熊襲)の霊を祭る目的で建てられたことなどから、神社に祭られる対象が全て反乱や反逆者として処刑された人の霊を祭ったものなのです。時の政権に逆らった反逆者を偉大な神として祭るという考え方は不自然であり、実際には処刑された死者が恨みをため込んで祟りをするのを恐れて、その魂の慰霊するための物である、という見方が出来る筈です。当然、処刑されてから一定の時間が経った後に、古い時代には自然科学も医療技術も発達してなくて、自然災害(台風、地震、洪水、火災、山崩れ、高潮、鉄砲水、土石流などや、流行り病い)による被害が恨みを抱いたまま処刑された人物の祟りだとして恐れられたことから、それらを慰霊するための施設として神社が建てられた、と考えると合点がいきます。
 出雲大社の大国主尊とは蘇我氏によって滅ぼされた物部氏を祭る神社でもあり、天皇家の始祖天照(卑弥呼:宇佐神宮に祭られているとされる)に災いをもたらすかもしれない乱暴者の弟スサノヲが流されて祭られたのかもしれません。
 天神社は明らかに京都に天災をもたらしたのが大宰府へ流されて憤死した菅原道真の怨霊として恐れられたところから天満宮として祟りを鎮撫する目的の神社です。学問の神様として大切に祭り上げられているとするのは後世に作り上げられた作り話なのです。
そう考えると、神社の出入り口にある鳥居の性格も変わってきます。すなわち、神様の通り道ではなくて、怨霊を閉じ込めて出てこないようにする結界だと言うことになります。
しめ縄も同じく怨霊を神社の中へ閉じ込めて、世に祟りをなさぬようにする結界なのです。神であれば悪霊に負けることはなく、その出入りを禁ずる必要はありませんが、祭られているのが怨霊であり、彷徨い出て現世に悪さをなさぬように神社内へ閉じ込めておくための結界が、しめ縄であり鳥居だとすれば、まさに理が通っており、世に信じられている神様の実態が逆転してしまいます。すなわち神社とは政権に逆らって殺された側の怨霊を閉じ込めておき、結界で囲い込んだ恐ろしい場所だということになります。いずれにせよ、最終的にはそれが生き残った人たち(殺した側を含む)を守るための手段であることには間違いありません。決して英雄を祭った場所ではなく、反逆者として殺された側の霊魂(怨霊)を閉じ込め、慰霊を行って祟りを成さぬように祭る処なのです。
 このように解釈すると靖国神社の性格も良く判ります。単なる政権争いだったとも言える戊辰戦争(維新戦争)や西南の役(西郷隆盛の乱)に駆り出されて亡くなった政権側の兵士や、国の為だとしてロシア、中国との戦争に駆り出されて死んだ兵士、さらには無謀にも世界の超大国アメリカへ襲い掛かって始まった太平洋戦争で殺された日本軍の兵隊さんが国を恨んで祟りをなさぬよう、神として祭った、と言い換えることにも無理がありません。すなわち、日本でいう神とは満足な死に方をしなかった罪人、悪人、もしくは戦争に駆り出されて犠牲となった兵士の魂が国を恨んで祟りを起こさないように祭ったと言うことになります。彼らが祟りを成せば被害を受けるのは生き残った国民ですから、その意味から言えば祟りをする魂を閉じ込めて出てこないようにすることは、人々を助ける神と言い換えることが出来ます。祭ると言う言葉の意味も含蓄があり、祝い事なのか、祟りを恐れた鎮魂慰撫なのか、まるで正反対に見えますが、神様という日本古来の考え方にも矛盾しないことになり、目が覚める思いがします。
 なお、伊勢神宮等のように天照大御神を天皇家の始祖として祭る神社もあり、無理やり上述の恨み祟りに結びつける範疇に入らない神社もあるので、偉大な祖先を祭ると共に権力を維持するために殺した反逆者も神社に祭ると言うことになっているのが不思議なところです。
 このことは世界各地の僻地にみられる呪術的なシャーマニズムとも似通っており、一般的に言う単一もしくはグループ内の複数の神を頼る宗教とは全く違う性質の物でもあるのです。キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などはただ一人の神が世界を作ったとしており、ギリシャやインドのヒンドゥ教には複数の神々がいます。仏教は仏陀が大日如来として最高神ですが、菩薩他多数の神々が名を知られている中、日本でいう神社に祭られている神々には特定の原則が無く、稲荷神社のように稲を代表とする穀物の神であったり、狐が代表すると民間では信仰され、商売繁盛の神とも言われたりし、この場合は恨みや祟りはあまり関係が無いように見えます。要するに日本では神様には原則がなくて、すべてが神になりうるのです。
 一方の仏教についてはまた別の観方もあり、呪いやお払いをする真言密教の隠れた恐ろしさもあり、蒙古来襲の際には全国の神社仏閣が護摩を焚いて敵の退散を祈ったという、違う言い方をすれば滅んでしまう様に呪いをかけたのです。呪いのせいで20万にも及ぶ蒙古軍は全滅したと言う、恐ろしいですねぇ。古代イランのゾロアスター教とか、カリブ海の島のヴードゥー教などが呪いをかける宗教として恐れられていますが、仏教にも同じ要素があるのです。藁人形に釘を打つという呪い方(丑の刻参り)も日本にあります。
 こうなると神や仏に祈ると言うことは怨霊を閉じ込めて出てこないようにすることや、敵対する者に呪いをかけて死なせるなどという恐ろしい裏面を持っていることが見えてきます。怖い話ですねぇ(笑)。
 なお、この一文は、メニューのエッセイの項目に追加して置きます。

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