戦争と平和

毎年8月になると戦争の被害・原爆の思い出、特攻、引き上げ、靖国などの問題がマスコミ等で取り上げられて話題になります。
私も思うところがあり、随筆として書き記してみました。

はじめにお断りしておきますが、大変皮肉な見方と感じられる向きも多いと存じますが、同感をもって見てもらえる方々も多いと思います。今まで持っていた固定観念を忘れて客観的に読んで見てください。
こういう見方もあるのかと驚かれると同時に、今までの自分の見方とは違う考え方もあるということに気が付くこともあるかと思います。
なお、私は日本が大好きであり、中国や韓国は嫌いです。韓国、中国ともにそれぞれ後学の為に一度ずつ旅行しましたが、2度と訪れたいとは考えたくない国です。
好きとか嫌いとかの感情は誰にでもあり、日本人の考え方と相反するような価値観には好きにはなれないものがありますが、そうした感情とは離れて冷静に物を見る目もまた必要なことであります。

周りと違うことを言うと仲間はずれになるとして、集団心理だけで動き、個々が物事を考えないで行動すると言うことは良くないことです。こういう状況下で戦争が起きてしまうのです。政治が悪いとか、軍部の責任だとか、他人へ責任をぶつけて自らは関係なしという気持ちが国の政治と国民を無関係にしてしまい、このことが戦争の直接の原因だと言えるくらいです。
そういう観点から、冷静に客観的・公平な目で見た日本の戦争について書いてみました。
裏から見た考え方とか、逆説的と考えずに、心を無にした上、細かな事象や事件に捉われず全体感について読み取って戴けると、見えてくるものがあると思います。
 
終戦後の昭和21年に小学一年となった私には戦争に参加した経験もなく、又幸いにも戦災にも直接の遭遇はしていませんが、空襲で近くの町が焼け広がる風景は遠目に見えましたし、一面焼け野原だった町並みもあちらこちらで見ております。
アメリカ軍のB29(トップ画像参照ーWikipedia)という大型爆撃機が編隊で真昼間に隣町を空襲していて、日本軍の高射砲が迎撃していたのも何度も出くわしました。日本の戦闘機が迎え撃っているのを見たこともありますが、大きさと数がまるで違い、まさに竹とんぼと大鷲の群れに対比されるようなまるで争いにならない差が感じられたものです。終戦の日の後で低空で示威飛行をするB29を見ましたが、実に巨大なものだったと言う記憶があります。4発のエンジンを積んだ爆撃機で後にジェットエンジンになり、大型旅客機として世界を制覇するボーイングのジャンボに発展する元になった、画期的な飛行機でした。
大編隊で日本の上空へ飛来し、雨あられのように爆弾や焼夷弾を落として行きました。国内の目立った都市や県庁所在地は徹底的に破壊され、最後に広島と長崎へ原爆を落としたのもB29だったのです。片や鉄砲の弾にも不足するといった日本が勝てる相手では有り得ません。国防訓練と言うことが良く行われましたが、武器は竹槍なのです(-_-;)。
戦後は平和になりましたが、お寺の鐘は勿論、鍋釜まで武器製作のための資源として供出させられた後のことであり、国民生活は窮乏を極めました。鉄くずや銅線などの屑が高値で引き取られ、物不足が激しくて今の物余りの時代からは想像が出来ない暮らしでした。

特に食べるものも無いと言う貧しい時代であり、高値で裏の商売をする闇屋がはびこりました。国の配給制度でわずかの食料が配られましたが、餓死が珍しくないという昨今のアフリカ難民と同じような世相で育ちました。それでも川で泳ぎ、野山を駆け回る元気な生活で当時は貧しいと言う感覚も無くそれが当たり前だったと思います。
銀シャリという言葉があり、白飯(混ぜ物が入っていない米のご飯)が大変な贅沢品としてそのように称せられた時代です。以来最近に至るまで農家が大事に保護されて、米の値段は国際価格の10倍近い値段で国家が買い上げているという、政策が行われてきました(-_-;)。

その後10年ほどで世の中は随分回復して、高校時代にはTVまで出現しています。

学校や書物から学んだことは沢山ありますが、戦後教育として過去を反省し悔い改めるということよりも、民主自由を賛美してアメリカナイズを図ることが重要だった感じがします。過去や古い歴史については触れられることなく、神道や国家成立の歴史などについては全く教えられた記憶がありません。間違った歴史には触れたくないという感じだったのかもしれません。

韓国や中国を指す蔑視の呼称は禁止されました。いわくチョウセン、支那、チャンコロの類です。言葉に出すことだけが禁じられただけで、蔑視してきた歴史に反省があったわけではありません(-_-;)。
戦後に在日朝鮮人の暴動などが起きたようですが、警察が動きにくい環境の中で裏で暴力団・やくざ組織をそそのかせて押さえつけたという事件も各地であったようです。
又共産党主導のテロ事件も頻発し、アメリカ占領政策の失敗として共産主義の跋扈には厳しくなりました。
アメリカにおいてもマッカーシー旋風と言う共産党シンパを追放するという「赤狩り」運動が行われました。日本でも同じことが行われ、沢山の共産党幹部が地下にもぐったり、ソ連へ逃げたりしています。

学校の先生がすべて強力な日教組という社会主義組織に属して、過去を捨て去ることが新しい考え方であるように思って居たようです。
その中ですべてアメリカ流が正であり(一部には共産主義思想もはびこりましたが)、古い日本の歴史はすべて否定される形で、教育されることも無く言うならば忘れてしまおうというものであったような気がします。

日本中にアメリカ兵が溢れて、若い女はパンパンガールとして飯の種にしていた時代です。
もちろん日本の軍隊は解散させられてしまい、アメリカに対する反抗は全く無いという珍しい被占領国でした。お上の言うことに絶対服従が我が国の国民性だったわけです(--;)。(ここでいうお上とは天皇もしくは天皇の言葉を代行する者という意味であり、戦時中の政治家や軍部が天皇を担ぐことを重要としていたことです。天皇の終戦宣言で戦争は終わり、アメリカへの反抗も無かったことになります。)
地下にもぐって反抗する勢力があって当然と思っていたアメリカにとってはうれしい誤算だったでしょう。以後徐々に撤兵が行われましたが、いまなお数十の米軍基地が存在しています。
そのご講和条約が結ばれ独立と言うことになりましたが、数十の米軍基地と10万にも及ぶ米軍は安保条約の名においてそのまま存続しております(-
-;)。
以後徹底したアメリカ一辺倒の政治経済が行われて大変早いベースで経済回復が達成され今日に至っております。
日本の敗戦後にはソビエトによる世界共産主義革命の輸出であちらこちらに共産主義革命が置きました。その最初として中国の内乱が起こり、蒋介石の中華民国がアメリカの応援を受けながら共産主義勢力に敗れて台湾へ逃げ込み、大陸には毛沢東の中華人民共和国が成立するという変動がありましたが日本は政権交代を認めず中共(中国共産党政権)という呼び方をしたうえで、台湾へ逃げ込んだ蒋介石を首班とする中華民国を全中国の代表としてきました。続いて朝鮮動乱が勃発し、北朝鮮がソ連・中共の応援を受けて韓国へ戦争を始めたことから大掛かりな戦争となり、アメリカの全面的な介入で最後は中共との戦争になりかけましたが38度線で休戦になり、現在まで南北のにらみ合いが続いております。マッカーサー将軍が朝鮮戦争で3発目の原爆を使おうとしたことで解任されたと言う歴史があります。
続いて、一次、二次ベトナム動乱があり、フランスが敗退したあとアメリカの後押しで成立した南ベトナムが北ベトナムの侵攻で大規模なベトナム戦争に発展し、50万の米軍が最後は負けて撤退しました。この間日本は漁夫の利を得る道を歩き、大きく経済発展をしたことになります。これらの動乱はすべてが共産主義勢力が従来型の民族主義政権を覆して勢力拡大を図ったと言われた時代でした。この後に続く冷戦時代にはソ連、中共(中華人民共和国を言う言葉)を仮想敵国とした日米共同体軍備が進められ、在日米軍も自衛隊もそれに備えておりました。

戦争で敵国であり、国土を占領してきたアメリカに対する批判は全く無くて、好意的な受け止め方をしてきたのが日本の大きな特徴です。これが自然発生的なものだったのか、もしくは言論誘導の所為だったのかについては大きな疑惑を感じています。
共産勢力への恐怖と敵愾心を煽ることで対米批判をそらすという手段です。
シベリア抑留と言う迫害を行ったことと戦後の中国内乱や朝鮮戦争、ベトナム戦争などが共産主義(ソ連・中国)への恐怖と対抗心だったのでしょうね。
なお、現在では中共と言う言葉は全く使われていませんが、田中首相の中国との国交回復まではすべてのマスコミが中国共産主義政権として中国本土の政権を中共と称し、台湾へ逃げ込んでいた中華民国を中国の正式政府として、国連の席にも台湾政権が中国代表として座っていたのです。
 
沢山の書物から戦争に関わる物語や、戦史記録、小説を読み、歴史とは戦争の物語であると言うことを理解しました。勝者が書き直した物が後世へ伝えられてきていると言うことです。国と国の戦争、宗教戦争、人種戦争など人間は戦争が好きな生き物らしい(^^♪。
少年時代には偉人伝や神話物語、青年時代は戦記物にも興味を持ち、世界の戦争の記録や物語を読んできました。時代とともに戦果の捕らえ方も違ってきており、領土拡張のための戦争は許されないようになってきております。特に国際連盟→国際連合という世界組織が出来てからは民族独立のための国土分割は許されても他民族の土地を侵略すると言うことが許されなくなってきました。こういう時代になってから他国を攻めて領土を拡大するという戦争を始めた国はドイツと日本だけだったのです。(あえて言うならば戦後に新しい国家を成立させたイスラエルは、国連がヒトラーに迫害されたユダヤ人のための国を中東の地に用意したことから現在に至るまでもアラブ勢力と戦争状態に近い雰囲気が続いています。)
特に日本の場合は満州国建国という中国を分割する侵略を行ったことが、結果的に太平洋戦争への道であったことに繋がっています。
過去のやり直しは出来ませんが、日清、日露の戦争で決着した領土で固定しておけば、ずいぶん違った情勢になっていたはずです。
すなわち、台湾と朝鮮半島は日本の勢力圏であり、同化政策が進められていたはずです。
樺太と千島列島ももちろん日露が半分ずつの線引きで分割していたのです。
ロシアを追い出した後の満州を中国へ返還せず、国を挙げて進出し、開拓農民の移民や鉄道敷設などに加え、資源の日本への輸送などが国際連盟から批判され、経済封鎖(特に石油の禁輸)の危機に対面したのです。今の北朝鮮やイランなどが核問題で国連の経済封鎖に直面している状況と似通っているともいえますが、ここで日本が行ったことは国連の脱退と世界を相手にする戦争の開始だったのです。
資源を南方に求めるという目的が第一であり、その資源とはインドネシア スマトラの石油、マレーのゴムと錫などが主なものですが、インドネシアはオランダが、マレーとシンガポールはイギリスの植民地として存在していたので彼らを叩き潰して奪い取ろうとする強奪という手段を採ったのです。
ハワイ奇襲による対米戦争の開始と、マレー・シンガポールのイギリスとの戦争、インドネシアの石油確保のためにオランダ軍との戦争、海上交通路確保の為にフィリッピンの米軍との戦争などを中国との戦いに加えて始めたのはすべて全て南方資源の強奪が目的であったのです。南方資源の確保とかいう綺麗な言葉で言えることではありません。
ABCD戦争とも言われました。A=アメリカ B=ブリティッシュ=英国 C=チャイナ=中国 D=ダッチ=オランダ のことです。十分に用意をした不意打ち作戦でしたのですべての戦争に緒戦としては大勝利しました。
当時シンガポールは世界に誇るイギリスの要塞都市として絶対陥落しないと言われておりましたが、山下将軍の猛攻でパーシバル将軍が降伏しました。その後山下将軍はフィリッピンへ転戦して同じく堅固な要塞といわれたアメリカ軍のコレヒドール要塞をも陥落させ、有名なマッカーサー将軍の “I shall return” 「きっと帰ってくるぞ」の捨て台詞が有名になっております。
インドネシアのオランダ軍などは忽ち敗れ去り、白人将校の妻や娘は日本の軍人のお妾さんとしてしか食べてゆく道がなかったともいわれております。
当時は日の出の勢いの日本軍の活躍に日本中が沸き立ち、やっていることの善悪などは全く省みられたことがありません。もちろんこの間も中国との戦争は続いており、中国軍をどんどん奥地に追い詰めているという状況でも有りました。この中国戦線では日本軍の残虐行為で沢山の中国人を殺したり、強姦したりの行為があったようですが、中国側にきちっとした記録が残されていないのでうやむやにしてしまっているのが実態でしょうか。
西はビルマ・インドに達する線から南はオーストラリアの近くまでの南洋諸島、北は中国奥地でロシアに接する線までと、日本軍の勢力範囲は膨大な範囲に広がりました。
当時の我が国の生産能力は限定的なもので、馬車や手引きの荷車で物を運んでいた日本にとって如何に大きな負担であったかは想像に難くありません。銃弾を作る銅が不足してお寺の鐘を潰して溶かしなおして弾を作ったと言われております。名古屋市の港区にある三菱航空機の工場で組み立てられたゼロ戦(開発当時は世界一の戦闘能力を持つと言われた戦闘機)を運送業者が牛車に乗せて小牧の基地まで運んでいたと言う、偏った技術の国であったのです。

以後泥沼の戦いに足を踏み込み、戦線は伸びきりインド・ビルマやニューギニアなどのジャングルで沢山の日本兵がなくなり、ガダルカナル島から始まって、サイパンからフィリッピン、沖縄まで全滅状態で負け戦と変わり、200万を超える日本兵が亡くなりました。日本国内では全国がアメリカの空襲で焼け野原となり、最後は原子爆弾を落とされると言う大敗となり、合わせて数百万人にものぼる戦争被害者を出しました。
今考えると恐ろしく我侭で、いかに身勝手な戦争であったかが良くわかります。いかなる理由をつけてもこのような領土拡張や他国の資源を武力で奪い取る行為が許されるわけもなく、日本の国力を大幅に超える無茶苦茶な政略でもあったわけです。こうした狂った政策を推し進めた直接の責任は勿論軍部にあり、陸軍を中心とする軍部の責任者は戦後の裁判で有罪となりました。東条英機、山下泰文などは勿論絞首刑にて刑死しております。これらの亡くなった軍人はすべて靖国神社に祭られていることになります。
やり直すことは出来ませんが、国連の干渉で中国から撤兵しておればどういう世界になっていたかについて想像すると面白いものが見えてきます。これはドイツについても同じことが言え、どこまでも欲を伸ばしきって留まるところがなかったことが破滅への道になったのです。
英米との勢力争いの中で3番目で押さえ込んでおけば、世界での勢力争いもそれなりに決着がつき世界戦争までにはならなかったと思われます。即ち日独が世界勢力の3~4で安定していれば許される範囲だったのかもしれません。
日本の場合で言えばアメリカと英国の言い分は聞くということです。中国から撤兵するだけで済んだはずなのです。朝鮮半島と台湾は日本のものであり、北方領土も日本領です。
この考え方は白人勢力が世界を分割支配するという、古い勢力争いの時代に東洋人である日本が白人勢力に混じってアジア世界を支配しようとしたと言うことが言えます。
仮にそういう状況であったとしても現在では民族自立の時代ですので、同化政策が功を奏しているとは考えにくいことですが、いずれにしても世界の5大国には日本が位置し、大きな力を持っていたと考えられます。日米、英独でロシヤ・中国を封じ込める世界戦略がありえたという絵物語です(^^♪。中国は5大国には入っておらず、フランスはロシアと誼を通じて英米に対抗しようとする第三勢力にすぎませんでしょうね(^▽^笑)。
日本が間違った政治を行ったために泥舟だった中国をに変わらせてしまったのでは?とも考えられますね。

8月になると広島・長崎の原爆被害者の慰霊が大掛かりに行われマスコミでも大きく報道されていますが、被害者が居れば加害者が居るはずです。加害者についての議論が出たことがありません。日本が悪かったのだからアメリカは加害者には当たらないと言うことなのでしょうか。
アメリカに対してこれだけ寛容になれる日本が一面で戦争で日本が被害を与えた国々に対しては賠償金を支払ったはずの一点張りで省みようとしていないことが不思議です。
日本が負けてしまったから、アメリカに従おうでずっとやってきて、この間敗戦まで長らく支配してきた朝鮮や、台湾、ならびに満州・中国などに対する侵略被害への反省は正直言ってなかったのではないかと思います。戦争に負けたのは対アメリカであり、満州へ攻め込んできたロシアは、終戦間際に条約を破って領土拡大の意思で参戦し、シベリヤ開発のために50万人以上の日本人を強制労働に徴発した悪者のイメージしかありません。

東洋の国で欧米の文明先進国に対抗できたのは日本だけであり、巨人と思われていた中国は日清戦争でその弱さを暴露してしまいました。朝鮮半島に尊重すべき独立国家があったなどとは考えても居ません、あくまで日本と中国の間における勢力争いの土地であったという考え方もあるくらいです。明治の征韓論いらい、東洋の他国を目下に見て日本の偉大さを強調する考え方が、大陸への侵略を当然のごとく進めさせ、国連の干渉を反省をせずに拒否し、国連を脱退した挙句に世界を相手に戦争を始めたという狂った国家にしてしまったのです。
現在の北朝鮮を笑ったり馬鹿にすることは出来ません。彼らはまだそこまでは狂って居ないと思えます。
 
これらはすべて過去のことであり、現在の日本のことではありませんが、しかし過去にあった事実としての認識は大事なことであります。こうした歴史は大きな反省材料であるはずですが、少しの反省もされていないところに怖さが感じられます。歴代首相が言葉の上で過去を反省し不戦の誓いを述べておられますが、なぜ今、中国韓国の世論が反日を叫ぶのか?について、見当違いの憶測や推論で相手方の所為にして(最近では中国などが愛国教育で反日を煽っているという見方などのこと)我が方の反省をしないことが間違いです。
戦争はアメリカに負けたのですが、もともとアメリカによる我が国への干渉は満州への日本の支配への中止要請だったのです。全世界の世論であったともいえます。韓国、台湾を支配し、満州まで取り込んでしまい、さらに中南部の中国にまで支配権の拡大を進めてきた日本の政策にたいし、我々日本人はたいした反省をしていません。戦争に負けた相手はアメリカだけなのです。アメリカ以外は目に入らずで、戦後賠償などお金で清算済みという考えでは韓国などでは受け入れられないでしょう。中国へは賠償金の請求も無かったゆえ支払ってもおりませんし、日本国民には中国人には迷惑をかけたという反省の気持ちがありません。考慮する必要も無い目下の人々なのでしょうか?(-_-;)。
人件費の安さから工場進出が盛んですが、単に安い労働力を求めての経済進出であり、言い換えれば経済侵略なのです。経済援助だなどと都合よく言い換えてはなりません。
なお、韓国、フィリッピン、インドネシアなどには大きな賠償金を支払っていますが、敵対した最大の相手国のひとつ中国には賠償金の支払いを要求されていません。
戦後に寛大な処置をとり、沢山の軍人や殖民で移り住んだ日本人を無事に日本へ帰還させてくれたのも中国です。シベリヤで強制労働に従事させたソ連とは大きな違いがあります。
ただ、ここにもうひとつの歴史があり、上記中国とは中華民国であり、後に毛沢東の人民軍に敗れて台湾へ逃げ込んだ蒋介石総統の国民党政権であったと言うことです。毛沢東の八路軍とは日中戦争で戦ったもう一つの相手方であり、彼らは中華民国の対外条約を引き継いだことで日本に対する賠償問題を出していませんが、本来であれば未だ講和条約もしていない戦争状態のままで長く続いてきて、田中角栄首相のときに漸く友好条約をサインしたのです。北朝鮮とは未だに終戦処理もしていません。韓国とのみ戦後の修復条約が結ばれています。こうした中における日本の北朝鮮に対する傲慢な態度や、韓国中国の言い分に耳を貸さないという尊大な態度が今日の反日感情として出ているのではないでしょうか?
ものは考え方とはいいますが、最近の日中中間線付近における海底ガス開発についても沖縄付近の琉球列島の一番中国寄りの離れ小島と中国大陸の間に日中中間線を設定しているのは日本側の勝手な主張だとは考えませんか?おまけにそのあたりに海底資源があっても費用効果の問題から日本では開発意欲がありません。既存の海外資源を買い付けて利用したほうが安いのです。遠大な未来志向に基づく中国の海底資源開発を応援する立場になりたいものだとは考えませんか?
ところが中国に向かって日本の権益を侵す恐れがあるからやめなさいと声高に主張をしているだけなのが日本なのです。やめなければ戦争ですか?こうした流れの中に靖国神社問題も存在しているのです。中韓の主張にも耳を傾ける努力が必要なのですが、内政問題だとして、無視する考えが主体になっています。

明治以降東洋への覇権を確立するために軍備の拡大を民生を犠牲に推し進めてきた軍部の責任は大きなものがあり、先ほど述べた大陸への進出から始まり、最後は全面的な敗北で国民をどん底の窮乏生活へ追い込んだことの第一の責任者は軍人なのです。これらの軍人のトップに君臨した人が東条英機陸軍大将で戦時内閣の総理大臣を勤め、戦後自殺未遂で東京裁判で絞首刑になったA級戦犯といわれる人たちの総代表に当たります。この戦犯と言われる人々も含めて亡くなった軍人だけが祭られている神社が靖国なのです。
5.15.事件 2.26.事件などで軍人が政治家を暗殺して、軍事独裁政権が日本を狂った国家にしてしまったことを忘れてはなりませんし、この軍人たちが何処の地で亡くなったのかを考えるときに、遥か遠方の他国で戦死した兵士を思う気持ちは日本ではロマンかも知れませんが、戦争の相手方にとって進軍してきた日本兵を撃ち殺した行為こそが国土防衛の勇士であり、殺された侵略軍の日本兵は祭られる対象では有り得ないのです。
もちろん徴兵されて、何も考えることを許されずに戦死してしまった兵士たちも沢山祭られては居ますが、国の為にという美名のもとに命を捧げさせられた犠牲者と言う風に考えるべきであり、国を守る戦いで死んだ勇者として国民的に祭られるべき人たちとは言えないものがあります。どこの国にも国の為に戦死した兵士を祭る施設があり大切にされておりますが、それぞれに大儀名分があります。ところが日本とドイツにはそれらの大儀が無いのです。
アメリカには自由を守る戦いであり、中国は侵略する日本軍から国土を守る戦いであったわけですが、日本は外国から攻められて国土防衛の戦いと言うのは鎌倉時代の元寇しかありません。古代から朝鮮征伐や、倭寇などの海賊行為で朝鮮、中国、シャムなどを荒らしてきたうえ、明治以降は圧倒的な軍事力で侵略を進めてきたのです。
対等な立場の国々がそこの存在することさえ無視、否定して来たかのごとき、傍若無人な振る舞いをしてきたことになります。
韓国、中国から始めて、遠く離れたマレーやインドネシアまで軍靴で踏み荒らしたという現在の平和国家日本?としては考えられない程の暴虐な軍事大国でも有ったわけです。彼の悪名高きドイツのヒトラーと同盟を結んで世界の分割を企んだのです。
該当する被害を受けた人々や国にとり、そういう狂った日本を主導した軍人を祭った靖国神社を許せない施設として非難する気持ちは当然だと受け止めることも必要です。
国を代表する総理大臣がかっての歴代首相が深く考慮してきたこの問題を我が物顔で自分流で流れを変えることには許せないものを感じると言う中韓の主張には理解を示さなければなりません。どちらかと言えば彼らはずいぶん遠慮深く、注意を促していると謙虚に受け止めることも出来ます。なぜならば彼らには靖国神社を打ち壊せと要求する権利があるのかも知れません。今の日本には全く彼らの言うことに耳を貸さないという頑なな態度しかありませんが、間違っているのは果たしてどちらでしょうか。

なお、軍部を開戦当時から批判的に見つめていたと言われる昭和天皇は戦後戦争犯罪者として処刑された人たちが合祀されて以降は靖国神社への参拝を行いませんでした。以後平成の天皇もその意思を引き継いでおられます。

明治以来の我が国の軍事政策には大きな反省と被害を与えた国への謝罪の気持ちを持ち続けて、2度と繰り返してはならないことなのです。
靖国神社を首相が参拝することを当然と考え、さらには天皇の参拝まで期待する主張を石原慎太郎知事などの右翼的国家主義者(?)が主張していますが、大変危険な思想です。
まさに時代は繰り返すことを表しており、昭和の初期に立ち帰ってしまいます。
彼らの主張する個々の戦争と事例は、後に続く相手先の支配と隷属化政策が行われなかったとしたら、立派な行為であったことは事実ですが、日本海会戦などの歴史的に賞賛されるべき戦闘も後に続く侵略行為のためにすべてが悪となってしまったことを忘れてはなりません。
領土欲に駆られた東洋の鬼、これがかっての日本であったのです。狭い日本から出でて大陸で飛躍するなどという思想が大いに語られた時代でもあったわけです。

だれも自分の国を悪くは言いたくありませんし、間違いだったことは忘れてしまいたい気持ちは良くわかりますが、アジアの一角に有りながらアメリカとの連携だけを大事にして、アジア諸国を目下に蔑視している状況が彼らから仲間として受け入れらない元になっているのです。
戦争の前と少しの変化もありません。日本の内政問題として我々が考えていることが彼ら侵略されて被害を受けた国々にとっては決してそうではないという主張にも一理があります。日本人が過去も現在も軽視、いや無視してきた彼らの目にこそ日本の未来が見えているのでしょうか?
いずれは日本人の優秀さがすべてのアジア諸国を敵にしても凌駕する力を持つと思われます。またそういう気概を持っていることも事実であり、我々日本人に見えていない自らの力を原水爆をもつ中国ですら恐れているのです。言われているような小日本に何の反発を感ずるのか?でしょ。軍事大国へ一旦向かえば直ぐにアメリカに対抗できるところまで行く。これが過去の日本であり、現在も同じ潜在能力を持っているのです。
しかし、もしもそういう事態が起こる時には信頼関係にあるはずのアメリカもそっぽを向いているでしょう。現在の日米蜜月関係は日本がアメリカを頼りにしていると言う親子関係の中で維持されているのであって、日本が大きな存在になったら逆に邪魔者になってしまいます。
そう、それがかっての昭和16年の日米開戦だったのです。まさに歴史の繰り返しです。

怖いですね~、いやですね~、次回に繰り返しが起こるときは核戦争しかありませんが、きっとそれを引き起こすのは日本しかないでしょう、狂った国日本が過去に存在したことは事実であり、今後もそれが起こりうると中国韓国が警鐘を鳴らしていると受け止める日本人は私只一人なのでしょうか?
日本はそういう大きな力を持った強い国なのです。誰にも負けません。それを認識していない日本をこそ中国韓国が怖がっているのです。狂った獅子が何時目を覚ますのか?ではないでしょうか?
このことは同じような歴史を持つドイツにもすべてが当て嵌まる事であり、また同じく大きな力を内に持っていることも同じですが、ドイツは全くこのような批判を受けておりません。
この違いがどこから来ているのかを良く考える必要があります。やはり騒ぎ立てる相手が馬鹿だとして片付けてしまっている日本の愚かさが見えて来るのではないでしょうか。

ここで一つ考え方を変えましょう。我が日本は大きな力を持つ強い国であるという気持ちです。
寛大な気持ちで隣国を助けてやりましょう、力も貸してやりましょう、彼らの言うことにも耳を貸しましょう。優しい国になりましょう、強がりを言うのは弱い証拠です。強さは自分で主張するものではなくて、すべての周りの者が自然に認めるものなのです。今の日本人は持っている強さを忘れてしまっています。自信があれば余裕も生まれます。余裕をもって冷静に判断し無益な戦争で失うものの大きさを考えなくてはいけません。
日米関係、日韓、日中、対アジア諸国などの関係の見直しを優しさと余裕をもって当たれば、反感は消えて大人の国として敬意を払われる対象になってくると思います。

19年9月追記
 北朝鮮との間に拉致問題が起こり、世間を騒がせ出してからの国策として北朝鮮への圧力を高める政策が取られており相手側を一層硬化させています。僅かな数の犯罪被害者のために国家間の戦争まで想起するような政策を取ってきており、無意味な経済封鎖とか強硬な外交を繰り返し完全な閉塞状況に嵌りこんでいますが、未だに反省がありません。友好国として今の韓国との間のように自由な往来が出来るようになれば拉致問題などは自然解消されることであり、某有力政治家の言うように彼らは圧力を掛けなければ対談に応じないなどとする間違った思いを捨て去る必要があります。
むしろ逆であり圧力を掛けてきたから今日の状態が起きていると見るのが当たり前です。
ソビエト崩壊が米ロの戦略兵器削減条約であり、緊張の解除が原因であることは一目瞭然の事実です。海を隔てた日本から強硬な言葉を並べ立てていたら拉致事件が解決する筈もなく、逆効果しか生まれません。美しい国とか、戦後レジームからの脱却とか美辞麗句を並べて人気取りだけの政治をしてきた総理大臣が辞めましたが国家100年の計を見通せる人が出てくることを期待しています。



マンダム 記