マイカー歴50年 📜

高度成長期にサラリーマン生活をおくったので、車とのかかわりが現代とは違い、車そのものを愛し、ドライブすることが趣味でもあった時代を過ごしました。

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自動車は、移動をするための道具を超えて、個性の表し方の一つであったり、ステータスの一種であったりして、車に対する関心度が凄く大きかったものです。
メーカーも4年ごとにモデルチェンジをしたり、スポーツカーも沢山出しておりました。
 そんな時代の真っただ中に生きた私も、2-3年ごとに車を買い替え、妻にも専用車を持たせ、合わせて19台目が現在使用中のマイカーです。
 古い写真を集めたので、あらためて紹介してゆきます。

最初のに入手したのはホンダ製の赤い軽自動車N360です、次が白いスポーツタイプのN360S、3台目が鳴り物入りで売り出した、空冷4気筒のホンダ1300_77タイプ。
皆、よく走りました、当時としては進歩的なOHCというエンジン形式で、360CCのN360でも100Kmを超えてらくらくと走ります。この時代ブルーバード、コロナなどの普通車とは最高速度が同じでした。 が、、、酷い欠陥車ぞろいで、4代目のトヨタカローラに乗り換えた時のショックは大きく、これが車と言うものかと言うくらいに文化ショックを感じたものです。
 オートバイにブリキの箱をかぶせただけなのか?がホンダ車でした。
よく走ると自慢していたのが恥ずかしい(-_-)、しょっちゅう故障し、毎日の手入れが欠かせないのが当時のホンダ車、なにもせずに当たり前に毎日動くのがトヨタ車だった。   いわゆるメンテナンスフリーで今なら当たり前です。
但し走りはやはりホンダが上でしたねぇ。
 ワイフが一緒に写っていますが若かりし当時の写真です。

次がホンダから乗り換えたトヨタ車、最初がカローラ1600GSL、2代目がカローラハードトップタイプ、3代目がカリーナ1600GTです。 ホンダと比べると素晴らしい車でした。静かでよく走り、燃費も悪くない。
 特にカリーナ1600GTは180km/hrを最初に記録した車で、DOHC、4バルブを量産車に適応させた最初の自動車。5段ミッションマニュアル操作のスポーツ仕様の車でした。このころからトヨタが日産を凌駕するようになります。

次がバブルを代表する自家用車で、勤め人が乗る乗用車としては贅沢なクレスタ・スーパールーセントを購入し、モデルチェンジに従い、3年ほどで、更に新型のクレスタへ乗り換えました。2000cc6気筒の高級車です。このころワイフ用にもカローラクーペを購入します。

続いてワイフ用の車で 左がカローラレビン、中が三菱ミラージュ、右が同じく三菱のデリカスターワゴン。デリカは当時唯一の4駆のオフロードワゴンで、山岳ドライブ、スキードライブに力を発揮し、長距離ドライブを楽しみました。
このころから役職手当も付くようになり、生活にも余裕が出来たことから毎月5万円とボーナス月年2回には20万円ずつ、合わせて年間100万円ずつ天引きの積み立て貯金として車購入費用に充てると言う贅沢をしつつ、夫婦で2代の自家用車を持つ暮らしになりました。

デリカスターワゴンをワイフ用として、休日には私が運転して楽しみましたが、大きいから運転しづらいと、軽自動車に買い換えた時がありましたが、わずかの間に事故を起こし、軽自動車のこわさに気が付き、すぐに大型に買い換えました(^^♪。
 マツダボンゴはよく走りましたが、シート周りのつくりが悪く、すぐにトヨタのレジアスワゴンに乗り換えました。3000ccターボで、実によく走り、大型のワゴン車が180kmもの高速が出せるのは、さすがトヨタ車だと、気に入りました。
車中泊のドライブにも適応し、カー電源で稼働する、電気式の冷蔵庫を載せて九州・四国巡りのドライブをしたこともあります。

この間、私自身も4駆のオフロード車に乗って会社へ通い、ゴルフにも、休日の郊外ドライブにも活用しました。
左の2枚は、日産テラノRM3 白川郷から飛騨方面へ向かう 天生峠の紅葉風景、右はデリカスターワゴンで、郊外へドライブを楽しんだ時です。
車でドライブに出かけることが、大きな楽しみでもあった時代です。大型のフォグランプやカンガルーバンパーやエンジンアンダーカバー、プロジェクターヘッドランプなどを装着した、フル装備のシャモニーバージョンのデリカはお気に入りでしたが、2500ccターボディーゼルエンジンが非力で登坂力に欠けていたのが記憶に焼き付いています。

いつしかバブルの時代も終わりをつげ、私自身も定年を迎え、小型車に乗り換えて、車も一台に集約しました。それがトヨタのアルテッツァです。スポーティーな作りの名車でしたが、車の世界も変わってきて、単なる移動の手段であれば、軽自動車でもよいか?になってきており、趣味で車を選ぶ人は少なくなっており、寂しい限り。
リタイヤしてからは、アルテッツァ 日産ジューク ホンダフィット と乗り換えて現在に至ります。

ホンダ車は、車人生の最初に購入したころと比べると格段の進化をしており、当時感じた安物の欠陥品という印象はなくなっています。ハイブリット車として良好な燃費を稼ぎ出し、近距離運転の繰り返しという悪条件でも20km以上を保っています。
 車の寿命も延びており、モデルチェンジの度に車を買い替えるなどというのは無駄なことだったのでしょう。 そういうバブル時代に生きたことを人生経験の一つとして記録に残しました。

なお、ムービーメーカーを利用して動画風に編集したものを「オリジナル動画」の中に追加しました。  →  

2022年11月追記
・2000年10月にヤリスハイブリッドに乗り換えました。20台目の自家用車となりました。ヤリスハイブリッドの感想は → 
83歳になったことを考えると、これが最後かもしれません。