台湾事情 📜

台湾へは延べ11回旅行し、それぞれ1週間から10日間ほどずつ滞在して、いろいろと見聞したので雑感を書き記してみました。
 台湾とは近代史において120年を超える近しい関係があり、両国民同士の交流も大変多い間柄です。一方で、台湾は複雑な顔を持ち中国との関係で、正式には日本国とは国としては正式な國交が無く、中国の一地域(チャイニーズ・タイペイ)として存在していることになります。
 台湾自身も日本統治時代に日本人として生まれ教育を受けてきた人たち(本省人)と、戦後に中国から軍隊と共に渡ってきた人たち(外省人)の間における確執も大きく、支持政党も民進党、国民党と分かれます。本来国民党を中心とする外省人は中国本土において日本帝国軍と戦い、戦後は共産党軍に敗れて台湾へ逃げて来た蒋介石が最後の砦としたのですが、兵士を中心に軍属や官僚など数十万人で、これが外省人(13%程度)と言われる者の始まりです。 日本が引き上げた後、中国本土から渡ってきて、中国式の賄賂弾圧政治をしたので嫌われ、大衆暴動を引き起こした結果、3万人以上(デモ隊以外にも親日派知識人などを含み、白色テロとも言う。)ともいわれる死者をだした鎮圧を行い、その後35年間も戒厳令下で国民を押さえつけてきた歴史があります。中国歴代王朝と同じ中国出身の蒋介石の王国が親子2代続き、3代目に台湾生まれの李登輝氏(京大出)が総統になってから民主化が実現しました。
 現時点での総統(大統領)は民進党の蔡英文氏が2期目として選出されています。客家系の本省人で、大の親日家です。
本省人と呼ばれる内には少数の台湾原住民(3%ほど)と古代中国の滅んだ王族の子孫で、北部から南部へ移動してきたと言われる客家(ハッカ)民族(台湾人の12%程度)と終戦以前から台湾に住んでいた中国系の民族(台湾人の70%を超える)が中心で、合わせて87%の台湾人は、一時期日本人として生まれ、日本語教育を受けてきた人たちの系統です。大東亜戦争にも義勇軍(高砂義勇兵)として参加し、非常に勇敢な兵であったと言われており、靖国神社の英霊として祭られています。
 注:客家 = 北部に都があった古代の中国王朝が滅んだ時の遺臣の子孫と推察され、彷徨える異邦人と言われて中国内を南部へ向かって移住し、山間部や台湾などの島嶼へ移り住んだり、華僑となって外国へ移住するものも多く、子供の教育に熱心だったと言われる。孫文・鄧小平・李登輝・蔡英文・シンガポールのリークァンユー、タイのタクシンなどの各氏は客家出身で一国のトップに立った有名政治家ですが、中国史に名を遺す偉人も数多く、欧州や米国におけるユダヤ人と似ている。」
 
注:台湾原住民 = 司馬遼太郎氏によると、漢民族ではなく、日本の縄文人と相通ずる思考を持ち言語も似通っていて、薩摩人、土佐人と同じような気質であると言う。『霧社事件』という原住民の反乱事件に際しては男子は全員が死ぬまで戦い、家族の子女はすべて自殺して最後を遂げた。名誉のためには命を惜しまず、の気持ちは、大和魂、武士魂と同じであり、利に生きる漢民族とはまるで違う、と評されている。」

 現在でも80代以上のお年寄りの中には「私は台湾で生まれた日本人だ」と言い、日本語が話せるうえ、かっての日本時代を懐かしみ、日本を好きだという人が多い。なお、国際的には中国人として扱われ、言語も戦後に強制された中国語(北京語)ですが、彼らの中には自らを台湾人と主張し、中国人じゃないと否定する人が多くいます。
 一方外省人は大陸では日本帝国陸軍と戦い、戦後に中国から共産党軍に敗れて逃げてきた人達とその系統であり、戦後になってから台湾統治を引き継いだとして、日本統治の痕跡を排除し、反日教育をしましたが、王朝式の賄賂弾圧政治が嫌われて、日本時代の方が良かった、との印象を台湾人に深く刻みました。そのせいで蒋介石氏は独裁者として嫌われています。
「犬去りて豚来たりぬ」とは有名な台湾における言葉ですが、日本時代は法治国として悪いことをすれば罰せられて怖かったけど、日本が去った後に来たシナ人は賄賂を要求し、食らって寝るだけの豚だった、というたとえ話で、日本による統治が今日の発展に繋がっていると自ら評価し、今日では世界一の親日国、いや愛日国と言うべきかも となっている。

 反発の象徴とされても不思議ではない、大日本帝国台湾総督だった明石元二郎陸軍大将・男爵の墓碑が、台湾発展につくした功績をたたえて、神のごとくに2重の鳥居を備えて、台北市の中心部に祭られています。
    
     (中山区林森公園内 明石元二郎総督墓旧址)
その他、日本統治時代、台湾のために尽くした日本人の銅像や神社は各地にあり、日本が残した施設は勿論、残した業績を顕彰する施設他、戦後の国民党軍事政権下で取り壊された日本統治時代に建てられた記念‣慰霊のための施設も民主化後に台湾人によって多くが修復され、その功績は教科書にも記載されています。
 日清戦争の帰結として日本の統治下になり、終戦後に解放されたという全く同様の条件下にありながら、韓国の反日姿勢とは極端に正反対であり、韓国では日本が残した施設や業績は全て打ち壊されており、ありもしなかった嘘の反日歴史を教育し、国民を反日へ導いています。中国人・韓国人・日本人それぞれが洗脳されており、昔の日本人の大和魂は台湾人が引き継いでいると言われるほどで、日本人として育った世代のお年寄りの台湾婦人が昨今の日本人をしっかりせよと叱りつけています。↓

 「大日本帝国の行った戦争は、アジア諸国を西欧植民地から解き放すための聖戦であり、そのために日本は生命財産の全てを賭け、そして失った。 結果、数多くの国が植民地支配から解放されて独立できた。日本の占領地では教育の普及とインフラ整備などを行い、生活を豊かにさせるのに役立った。いくら感謝しても足りない。世界で日本以外にこんなことを出来た国はない。」 と 台湾を初めとして中・韓を除く全てのアジア諸国首脳から多くの感謝の声が寄せられていることも知っておくべきです。 (領土拡張欲、石油・ゴム・錫等の資源の獲得、市場の拡張など、独善的な支配欲があったことは事実であり、終戦後には敵国とされて大きな賠償金を支払った相手でもあります。
経済復興に伴う幾つかの援助により、対日感情が変化して来たのであり、好かれていると自らいうべきではありません。)台湾は中国と対立しており日本との友好関係を深めたい希望を持っているので特殊な立場にあることが伺われますが、このように言われることには面映ゆいものがあります。

 次の音声は日本統治時代に台湾人の教育のため6人の日本人教師が、暴徒のテロに逃げないで命を落としたという事件の六氏先生の慰霊施設を守り、日本人の旅行者に語り部として話をしている老齢の台湾人のお話です。 日本が戦争に負けて台湾を放棄したことを嘆いています。「僕たちは70年前には日本人だったよ、日本は戦争に負けて引き揚げてしまったが、父親が事業に失敗して家庭・子供を捨てて逃げてしまったと同じじゃないか。その後やってきたシナ人にどれほど沢山の台湾人が殺されたか知っているか、可哀そうだよ。と、、。」涙なしでは見ていられますぇん。
 戦後に大陸から国民党政府並びに軍隊(外省人)が支配者としてやってきて、二二八事件や軍事独裁政治で4万人とも言われる台湾人(=本省人の知識者層、親日派、反政権派などを含む)を虐殺したとされ、両者の確執は国民党・民進党の政党対立ともなり、現在に至るも深く台湾に傷跡を残しています。蒋介石初代総統が台湾建国の父としてではなく、圧政者として嫌われ、私たちは台湾人であり、中国人じゃないと言うほど、中国を嫌っている。 ↓

FaceBookで知り合った台湾女性が中国人で兵士だった父を持つことからいじめにあっていると言う話を聞き、気の毒です。
 蒋介石総統の軍隊が中国共産党軍と戦って、最後の砦として台湾を防衛したという事実がありながらも、台湾を乗取った中国軍事政権として嫌われているという矛盾を包含している台湾の複雑な内情が判ります。

これらの話から私も日本の歴史を見直してみる気が起きてきました。大東亜戦争を美化するつもりはありませんが、西洋の白人がアジアを支配してきた歴史を変えたのが日本の戦争であったことは間違いなく、日本が戦争を起こさなければ、間違いなくモンゴル・中国東北部(満州)・朝鮮はロシヤ領になっており、ベトナム・ラオス・カンボディアのインドシナ3国はフランス、マレーシア、シンガポール、ミャンマー、パキスタン、インドから西方の西アジア諸国(トルコを除く)はイギリス、インドネシアはオランダ、フィリッピンはアメリカの植民地として長期間搾取されて来たはず。彼らの独立を30年は速めたと言われるのが大東亜戦争(の敗戦)だったのです。勿論アフリカや中南米も全て白人国家の植民地であり、アジア圏で、戦前から独立を保ったのは中国の一部ととトルコとタイを除けば日本国だけなのです。
 当然台湾は中国の僻地として発展の埒外に置かれ、現在の海南島のような存在にしか過ぎないだろうと、台湾の3代目総統の李登輝氏が証言しており、日本の支配があったことが現在の台湾発展の基礎となったと言う。
 日本が敗戦と同時にアメリカの支配下で日本が悪いことをしたという自虐歴史観を植え付けられ、日教組という先生の団体が左翼だったこともあり、それを助長してきたので、靖国神社参拝に中国や韓国は勿論アメリカまでもが反対することに、ある程度の納得感を持っていましたが、先ほどの台湾婦人に叱りつけられる人間になっていると反省しなければなりません。3万人を超える台湾出身の日本兵が戦争の犠牲となり、内26,000人ほどが靖国神社に祭られており、毎年の大祭には、台湾からの礼拝者が団体で参列しています。
「台湾の団体”台湾民政府”が天皇陵と靖国神社、並びに皇居参拝のため来日した時のビデオ」

 台湾3代目総統であった李登輝氏はご自身の兄を含め台湾出身の英霊を靖国に祭っていることを「有難いことだ。」と感謝されております、一方で韓国人も20,000人ほどが英霊として祭られており、台湾と同じような状況にあるにも関わらず、あたかも日本と戦って戦死したかの様に歴史を捏造し、一方では彼らを日本へ味方した裏切り者扱いをしており、これも台湾とは正反対であり、中国と共に靖国反対の代表です。

中国との国交再開と共に台湾を中国の一部として認めることになり、台湾と日本間の正式国交は打ち切られてしまいましたが、アメリカと同じく文化経済の交流目的として台湾側が【台北駐日経済文化代表処】日本側が【日本台湾交流協会】を設置して大使館の役目を果たしており、民間交流として友好交流しています。日本統治時代に建てられた大正建築の建築物が綺麗に保存され、大切に活用されており、台湾総統府も昔の台湾総督府がそのまま使われています。
下の画像は日本統治時代に建てられ、現在も活用されている建物で、左から台湾総統府(大統領府:日本時代は台湾総督府)、台湾国立博物館、台湾監察院(内閣府:旧台北役所)、更に立法院、行政府なども日本時代の歴史的な建造物であり、近代的なビルディングへ建て替えることなく美しく手入れされて利用されていることに日本に対するを感じます。

その他にも日本時代に建てられた多くの建造物が美しく手入れされて現存し且つ生きて利用されており、日本では明治村でしか見れない明治・大正時代の建物が沢山残っている上、近代的なホテルなどの建築物にも大正モダニズムが取り入れられており煉瓦作り風のデザインが一つの文化になっています。

 観光往来もお互いに大きな相手になってきており、往来する観光客の数はトップクラスで、日本の高校生の修学旅行先に台湾が選ばれることも多く、台湾側もそれを喜んでいる様子が伺われます。修学旅行の団体が総統府の見学に訪れた際に台湾総統が歓迎の挨拶に出た動画がユーチューブに投稿され評判になっています。生徒たちが総統のポスターと並んで写真を撮っている処へ本物の蔡英文総統が出てきて感激するする場面があります。蔡英文総統の人柄にも親しみが湧き素晴らしいビデオです。

台湾と韓国は共に日清戦争の結果として日本に併合され、皇民化政策のもとに日本語教育を受けて、日本人として扱われましたが、日本の敗戦に従い解放されたという歴史を共有します。
しかし、今日では台湾は世界一の親日国、韓国はキチガイじみた反日国と両極端に分かれてしまいました。韓国では、日本が残した施設を植民地支配の象徴だとして打ち壊し、領土問題や慰安婦問題を何の根拠もなく騒ぎ立て、日本から賠償金を盗ることを図る反日国家である。同じ条件でありながら、全く正反対の台湾と韓国の姿にその国民性の違いがあるのでしょう。韓国問題については日韓問題としてエッセイの項に記述しましたので、参照ください

 台湾は中国の圧力下にあり、香港などと同じように中国に飲み込まれてしまうことを恐れて、日・米と組んで防衛に当たろうと安保協力を望んでいます。極端にいえば昔のように日本との統合を望む人たちもいるほどです。
 日本側も中国の顔色ばかり読んでいないで、台湾を国として認める方向へ進んで欲しいものです。
 又、中国も今のままの共産党の支配する全体主義国家であり続けるわけは無く、いつか崩壊して民主化へ向かうものと思われます。世界で、中国・ロシアと北朝鮮だけが中世の王朝国家然とした全体主義政治で世界と対立する構図が永久に続くはずがありません。
 中国や韓国の経済立て直しに日本が大きな貢献をしたと感謝される日がそれほど遠くない未来に訪れるものと期待したいのですが、そういう改革が出来ずに国が崩壊してしまう事態が先に来る可能性が大きいですね。

以上