社会の変化について 😎

Facebookはまずまず大人のSNSですが、最近参加しているQuoraは比べると、はるかに若者が多いようです。高校生くらいから参加しており、発信している内容が我々がそういう年代だった頃と比較して随分変わっています。
ネットだから自由にモノが言える、時代と共に意識の変化があるのは理解できますが、余りにも我々の常識と違いがありすぎて、当惑します。 親からは勿論、先輩からも学ばずに、社会常識を身に着けず、又それらを社会からの同調圧力だとして嫌悪する若者が多い。発言の機会を求めてネットへ逃げてきているのが判る。
 戦時中に生まれて終戦後育ちの私の年代とは違いが大きすぎて、当たり前の話が「なるほど、勉強になりました。」から、「意味が全く分かりません。」と言う相手まで色々。
 先日ある若者が「日本社会の同調圧力に耐えられず、外国へ逃げ出したい。どこか良い国はありませんか?」と言うのを見て、「我侭を言わない、我慢をする、 の2点を守れないようでは、世界中に居場所はありませんよ。」と突き放した応答をしたのですが、

  

 先日、米国住まいでノーベル賞をもらった物理学者の真鍋叔郎さんが、述べていた言葉に「日本社会の同調圧力に耐えられず、アメリカへ逃げた」と言う意味に、「驚き」と 「なるほど」 が並んで浮かび上がった。
我儘で回りに合わせられず、苛めにあったり、引きこもりになったり、ホームレスになるのは、敗者の心だという思いが強かったのですが、そういう中からノーベル賞受賞者が出たのです。なお、そうして外国へ逃げ出す秀才が多くいると言う。
 各種の学会でも独自な理論が認められず、同調圧力を感じる人はいるでしょう、先輩から学んで一人前に育つという生き方をする人もいる。多分後者が成功者となりますが、特別の人もいるんだな、と言うことが判ります。
 しかし若い人全員が特別な人になれる訳じゃないし、と 多様性の時代と言うことは挑戦者を生み出すと同時に失敗者を多量に作ることともつながってくる。
迷い羊に道を探すお手伝いのつもりが押し付けになってしまったりするので、難しい時代になっています。
ま、どの時代でも若者は自分の道を行きたいものです。一人前になった時点で回り道をしてきたことに気が付くものですが、常識的な生き方からは革新的な研究や発明は出てこないので、頑張ってください、と言うしかないようです。
 

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