知識の活用

知識を活かして過去の歴史や伝承を推察し、文化や日常体験に応用することで、世界や出来事をより深く理解できます。
ヘレニズムから世界史、古代伝承、日本神話、現代の体験まで、すべては知識を推察に活用する旅につながります。
これこそが、知識を「生きたもの」として活かす方法と言えるでしょう。


アレキサンダー大王が東方へ広めたとされている、ギリシャ文明のことを「ヘレニズム」と聞いたことがあると思います。へレン(Helen)にイズム(-ism)を付けた言葉と理解できます。つまり「ヘレン文化=ギリシャ文化?」と疑問が湧くのも自然です。

外務省のHPでギリシャの正式国名をしらべたら「Hellenic Republic(ヘレニック・リパブリック=ヘレン共和国)じゃないですか! こうして自分で知識をつなぎ、推察すると、学校で習った単純な知識も新しい理解に変わります。ギリシャってヘレン共和国だったのです。今知った?(笑)


フランスの有名な大通り「シャンゼリゼー」。
ふとスペルを見てみると、Champs Elysees。調べてみると、この大通りは凱旋門からエリゼー宮(かつての王宮、現在の大統領府)まで続き、ナポレオン軍の凱旋行軍にも使われたとのこと。そこで、スペルをじっくり読み解いてみました。Champsは勝利者=Champの複数だから勝利した軍勢と読み取れます。続くElyseesはフランス王宮の名前そのものであり、該当する大道りは凱旋門とフランス王宮にはさまれた大通り。凱旋門はナポレオンが勝利した軍勢を迎え入れるために作ったアーチ門なのです。
勝利した軍勢が凱旋門からエリゼー宮に向かって行進した大通りずばりそのものの名前ですね。
念のためChatGPTにも確認してみました。
「シャンゼリゼー」という言葉自体はギリシャ語由来で存在するそうですが、私の解釈については否定しつつつも、「筋の通った独自の考え方」ですと(笑)。


皆さんもご存知かと思いますが、日本という国の文字には複数の読み方があります。

ニチホン/ニッポン
もう一つ、ジツホン/ジッポン(呉音読み)
マルコ・ポーロが旅行した元の国では、漢字を呉音で読んでいたと考えられるので、当時「日本」はおそらくジッポンに近い発音で読まれていたでしょう。
この「ジッポン」が、さらにヨーロッパに伝わる過程で「ジッパン(Zipang)」となり、イギリスに伝わって最終的に「Japan」と呼ばれるようになりました。
つまり、日本=ジッポン=ジッパン=ジャパンというつながりが成立するのです。誰が読んだのかジパングが普通の読み方になってますが間違いです。ジパンと読むが正しい。Hong Kong , Shang Hai と書いて何と読みますか (笑)。
無関係に英語名が存在するわけではない、と考えを突き詰めると、例えば韓国を英語で「Korea」と呼ぶのも、高麗(コーライ)に由来するのだと理解できます。逆に、おかしな国名もあります。例えばUSAは「United States of America」、文字通りに訳せば「合州国」となりますが、なぜか「合衆国」とされました(笑)。


古代史で有名なソロモンとシバの女王ですが、ソロモンはユダヤの王でシバはエティオピアの女王だと言われ、シバの女王の血を引くとされるエティオピア王室は戦後訪日されて日本の天皇と歓談された際に古代からのキリスト教徒であることを明かされています。
 伝説では、シバの女王がエチオピアを統治し、ソロモン王との間に生まれたメネリク1世が契約の箱(聖櫃)をエチオピアに持ち帰ったとされます。これがエティオピア皇室の始まりになったといわれています。
多くの従者も同行し、結果としてユダヤ教徒のコミュニティがエチオピアに定着しました。これがブラックジュー(黒いユダヤ人)と言われるエティオピアのユダヤ教徒の始まりです。後世、キリスト教化が進みましたが、本来はユダヤ教徒だったのです。
キリスト教が世界へ布教を始める前からエティオピアにキリスト教徒存在するはずがありません。
 エティオピアのイスラム化によって迫害を受けた彼らはイスラエル建国の際、およそ14,000人がイスラエルにより救出され、ユダヤ人として復帰しました。これはイスラエルの情報機関モサドによる電撃作戦の一つとしてソロモン作戦と名付けられたことで有名になりました。


日本には天孫降臨の神話があります。調べてみると、思った以上に多くの地域で語られていることに驚きます。
特に多いのは九州(福岡・大分・宮崎・鹿児島)ですが、四国や山陰、越前、関東、鹿島などにも伝承が残っています。

歴史的背景を考えると、さらに面白い仮説が浮かびます。
秦から派遣された徐福や、漢・隋・唐の時代に滅んだ国からの渡来人、特に百済滅亡時の大量の渡来人などが日本にやって来たことを踏まえると、ある一団が上陸して一定地域を支配した可能性があります。その中で、国内での地位が上がるにつれ、自分たちの出自を隠して神格化するという手段が取られたと考えられます。
こうして天孫降臨神話や伝説が生まれたと解釈することができます。さらに、神話の里が九州に多いのも、大陸に近く渡来人が上陸しやすかったことから理解できます。
対馬海流の影響で、出雲地方や越前にも彼らが上陸した可能性もあり、実際、継体天皇が越の国(越前)から迎え入れられたことが日本書紀に記されています。


全国には浦島太郎伝説が多数存在します。
以前、長野県の木曽の山奥にもその伝説があると聞いたことがあります。片や男根を神として祭る金精様信仰も全国的に存在します。ここで面白いのは、最近ユーチューブで見た話です。 ある中年男性が旅の途中、外国の僻地で女性だけの部落にたどり着き、唯一の男性として歓迎され、居着いてしまうという物語。結果、15人の子供の父親になってしまいます。これは、浦島太郎伝説や女護ヶ島伝説、金精様信仰と同じ話ではないかと思いつきます。 戦争や天災、海難などで男性がいなくなった部落に、一人の男性が迷い込み、女たちが取り合うことで男にとっては鬼と化したり、神として神秘に扱う方が偶然男の生理に合った考えであり、当時のシャーマニズム的な風土にも合ってやがて後世に金精様信仰へ繋がれ、また、男性に恵まれず老女ばかりの集団は、外部から見れば鬼ヶ島やアマゾネスのように恐れられたのではないか、とも考えられます。要するに、浦島伝説や女護ヶ島・鬼ヶ島伝説は外部から見た民話の中、金精様伝説だけはは唯一内側から見た民話と捉えると、立場の違いだけで、同じ現象(女性だけになったの部落)が異なる形で伝承されたことが理解できます。


近年、「多様性の容認」という言葉が注目されていますが、日本には古来から協調性が重んじられ、「和」という概念が社会の基盤として大切にされてきました。大いなる「和の国」が「大和(ヤマト)」であるとも言われます。しかし、この「和」は時に同調圧力に変化することがあります。
「出る杭は打たれる」という言葉も同じで、個性や独自性が抑えられてしまう場合があります。
一方で、アメリカのように「出る杭を伸ばし、投資して育てる」文化では、別の価値観や個性を受け入れることが発展の基礎となります。つまり、和を乱すとして圧力をかけるのではなく、異なる考え方を受け入れる柔軟さが成長につながるという視点です。日常の何気ない場面にも、このような考察のヒントが隠されている――これも、知識を活用して文化や社会を理解する試みの一つと言えます。


神神社の成り立ちについて考えてみましょう。
一般的には、英雄や信仰の対象となる崇高なもの(例えば富士山)がご神体として神社が成立したと考えられています。しかし、神話や伝説の由来を詳しく解析すると、別の視点が見えてきます。

太古の昔、王者となった者は対立者を排除し、邪魔者は遠ざけてきました。
その結果、恨みを抱いて死んだ人の霊が鬼となり、後世に災いをもたらすのを防ぐために神社が作られたと考えると納得できます。
注連縄や鳥居は、霊魂を閉じ込める結界の役割を果たしていたのです。鳥居が神の通り道だという話は、後世の作り話に過ぎません。

代表的な例が天満宮です。
朝廷に逆らい九州へ流されて憤死した菅原道真の霊魂が災いをもたらし、京都に災害を連続して起こしたとされます。天満宮を建てて鎮魂した結果、災害が収まり、全国に天神様が建立されました。学問の神としての評価は後付けで、元々は民に災いをもたらす鬼だったのです。

宇佐神宮も同じ考え方です。
大和尊による熊襲(隼人族の反乱勢力)征伐で殺された死者の霊魂を祭る施設だったと考えられます。隼人族は南九州に広く住む勇敢な部族で、大和政権に反抗した一部が熊襲と呼ばれました。神社はその霊魂を封じる役割を果たしました。

出雲大社も同様です。
ヤマトに元々あった中央政権を天孫族が征伐(神武東征)し、旧政権一族を殺害した後、出雲に大社を築いて霊魂を封じ、国譲り神話を創作し、血なまぐさい王権交代の事実を美化した伝説を残したと考えることができます。


不思議体験;-


1. 初心者での自動車運転

免許取り立ての私は、友人3人を乗せてレンタカーで遠出中でした。時速80kmで国道を飛ばしていると、左側からタクシーが突然飛び出してきたのです。思わず急ブレーキを踏むと、車は前荷重になり後輪が浮き、左へ尻振りを開始。このままでは左側面からタクシーに衝突という場面で、1.車輪ロックの解除が最初だとブーキ解放、2.尻振りを直すためには加速が必要と考え、アクセルへと足を移し後輪へ荷重をかけてハンドル操作で右車線へ回避するも、対向車線に並走する自転車2台にぶつかる危険、更に右側の路肩ギリギリまで回り込んでから大きく蛇行しつつ、左車線へ戻る。この間アクセルを踏みっぱなしのドリフト状態でした。ブレーキを踏んでいたらスピンしてコントロールを失っていたでしょう。すべての操作はほんの数秒。しかし、頭の中では時間が引き伸ばされたかのように感じられ、考えた通りに操作してしていたのです。
 免許取り立ての素人の私が、多くの経験を積み重ねたレーシングドライバーと同じ操作を自然に行えたことに、同乗者たちはまずタクシーにぶつかったと目を閉じ、次は自転車を跳ねたと目を閉じ、3度目は向こう側の田圃へ飛び込んだと目を閉じたのに、無事に走行を続けていることに目を丸くして驚いていました。十分考える時間があれば対策出来る方法なのですが、私には十分な時間があったのです。たった、0.5秒がね(笑)。当時スパコンは存在せずそうした考え方もありませんでしたが、私の頭脳は危機に当たって瞬時にスパコン化して最適な結論を導き出して体が反応して車を操作していたとしか言いようがないのです。

2. スキー帰りの雪道

次に思い出すのは、雪の峠道での体験です。乗鞍高原でのスキー帰り、野麦峠の裏道を下る長い坂道。T字路で右折しようとハンドルを切っても車は直進し(フロントエンジンの重さと、後輪のエンジンブレーキにより)、もしブレーキを踏めば崖から転落する状況。咄嗟にアクセルを踏んで加速すると後輪荷重が増し、前輪がブレーキとなって車体は90度横向きに回転、(パワースライドターンとでも言いましょうか)ギリギリで右折に成功しました。地球時間では1秒にも満たない瞬間ですが、私には十分な思考時間があり、パニック状態に陥ることなく、正しい判断による操作が行えたのです。

これらの体験はいずれも、通常の知識や経験では不可能な「究極の危機回避術」。身体と頭脳が勝手に連動し、パニック状態でも最適な操作を行った神業的瞬間です。私の感覚では、その1秒がまるで1分のように引き伸ばされ、私の中では十分に計算し考える時間があり、結果、最適な操作を行って事故を避けることができました。普通では対処できない筈であり、パニック時にはブレーキを踏むのが当たり前の中、アクセルを踏んで危機を回避したのです。1の場合は加速して尻振りを止める、2の場合は加速して尻振りを起こさせるという逆の利用でした。まるでプロのレーシングドライバーの如くに、経験を重ねた熟練者だけが実行出来るであろうと言うプロテクニックを素人の私が頭で考えだして瞬時に実行出来たという見本として記してみました。

3.ゴルフでの特異経験

三重県のゴルフコースに有名な難ホールがあり、ベントグリーンのため早い上、傾斜が強いのでパッティングが難しく、203高地というあだ名があり、コースから6~7m程も高くなっています。私はカップの左5mほどに2オンしたのですが、ボールの位置からカップへ向かっては右傾斜が強く左上方45度方向へ球を打ち出さなくてはならないような状態でした。3パット覚悟、最悪はグリーン外まで(下のコースまで)転がり出ることも考えられる最悪のコンディション、集中してライン取りを探っていたところ、なんと不思議、白い線が芝生の上に見えてきたじゃありませんか。方向は出ているからあとは力加減だけ。転がりだしてからは カーブポイントで思い通りに白い線に沿ってボールが曲がっていくのを見て、ほぼ半分過ぎた時点で思わず「入った~!!」と叫んでしまいました。力加減が強すぎれば白線より上へ外れ、弱ければ下へ垂れるはずなのです。パートナー達はまだカップの遥か手前で”なにを言ってる?”という顔をしていました。最後は”コローン”という音が聞こえました、バーディーでカップインです。”ラインが見えていたんだよ”、はまったく信じてもらえませんでした。
 ここ一番と言う時に精神集中の能力を持つ人が、頭で計算して描いたラインが正に的中した時にだけ現れる現象なのでしょうね。長いゴルフ人生で只一度だけの経験です。
後にTvで優勝プロのインタービューで今日はパッティングのラインがよく見えた、などと言うのが理解できるようになりました。

まとめ

失敗が多い人生、上手く行ったことは貴重な思い出です。そんな中、自動車での事故回避体験2件、そしてゴルフでの特異体験1件、これら3つの出来事は極限の集中力によるものとは感じていますが、今も心に残る神秘的な体験です。