エッセイの追加、「大和古代史の謎」

紀伊半島の新宮市にも徐福の記念碑があるのを知って、秦の時代に蓬莱島を目指してやってきたと言う、徐福について想像を膨らませてみました。

いろいろと想像力を膨らせて、彼らが、彷徨えるユダヤ人のグループでは無かったのか、と考えてみたのです。
縄文時代から弥生文明に変わっていった原因、天孫降臨伝説、後になってからの秦氏一行の渡来など、大和が急激に進化して、平城京(奈良)や平安京(京都)の建設まで可能にした大発展を遂げた(弥生文化の定着)等との繋がりなどを想像で作り上げました。
学説として存在するか?は調べておりませんが、今まででは知らなかったことを壮大な(笑)裏古代史として纏め上げて見ました。
最後に台湾で聞いた客家族の歴史についても同じじゃなかったのか、と。
密かに囁かれている、日ユ同祖論にもつながってくるという、大掛かりな裏歴史論になります。

以前に纏めたエッセイの 「ヤマトの創建について」 では、考えていなかった思い付きが出てきたので、改めて纏め上げた考察をエッセイとして追加しました。

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