イージス艦沈没 🚤
2008年 4月 マンダム記
2008年2月に起きた海上自衛隊に関する事件で自衛隊のイージス艦と漁船の衝突事故があり、連日ニュース欄を賑わせておりました。
新聞もTVも余りにも自衛艦側の責任を追及する声ばかりで、ふと漁船側に事故の責任が無いのかと考えてしまいます。
漁船員の2名は行くえ不明になっており冬の海では生存の可能性も低く、気の毒なことになりそうです。
Wikipediaから引用した当事件のあらまし →
さて、広い海上では道路のような交通路があるわけではなく、何処を通ってもいいわけですが、日本近海では漁船や大型の船舶などで輻輳する海域もあります。当然進行方向に障害物や他の船舶が居ないかどうかを探索しながら安全に航海する事は全ての船に課せられた義務ですが夜間の海上で不幸な衝突事故が起きてしまいました。
聞くところによれば自衛艦はハワイでの日米合同軍事訓練に参加しての帰路にあったという。当然見張りはいてもまさか小型漁船が方向転換をしないでまっすぐにぶつかってくるとは考えていなかったことは容易に推察されますし、そのことが犯罪だと言うほどには感じられません。
公務行動中の自衛艦に優先的な進路が与えられていても少しも不自然を感じませんが、大型の自衛艦が漁船へ進路を譲るのが当然の如きに言われているのもおかしな話です。一般常識では公務行動中の警察・消防・自衛隊などの大型の車両や船舶に対して一般の者が進路を譲るというのが常識ではないでしょうか。
双方ともレーダーでこのまま進めば衝突の可能性があることを事前に判っていながら、衝突直前までそのまま漫然と直進していたことが見えています。
大きな障害物を避けて自己の安全を守ることは当然であり、大型船から見れば大きな障害物では無かったのかも知れませんが、漁船側から見れば氷山にも匹敵するような巨大な障害物であった筈です。
安全の基本が先ず自己の安全確保である以上、漁船側がなぜ巨大な障害物へ向かって進行を続けたという問題と、自衛艦側の回避操作が適正だったのかという二つが同時に取り上げられねばなりませんが、まさに一方的な自衛艦バッシングだけが大きく取り上げられています。
日本国の防衛力の象徴たるべき新鋭のイージス艦を世界の笑いものにすることはいかがなものでしょうか?
原因は双方の前方不注意であり、衝突寸前まで直進してきた責任は漁船側にも等しくあるのです。身軽な立場なので直前で回避できると言う判断が漁船側にあったと想像されるし、大型船側にも同じ想像(即ち漁船が回避するだろうという)が働いていた可能性も十分に推察され、ある意味では当然の思考でもあります。事故になってしまった結果からみれば不注意であったそしりは免れませんが、犯罪の如きに糾弾する気持ちにはなれません。
事前にすこし進路を変えていれば衝突はなかったわけですから、両者ともに可能だった回避行動をどちらもせずに接近し、直前になってから慌てて動きが始まったことが判ってきています。
当然のこととして大型の艦船が急激に方向転換を行うことや急ストップを行うことは不可能です。自転車や人が飛び出してきても大型トラックは急には止まれないことと同じなのです。
右旋回がルールとされてるから、自衛艦が右へ回避するのが当然と、いかにもルール違反の如きに報道されていますが、漁船群は右方向からぶつかる進路で進んできており、自ら漁船群へ突っ込むような進路を取るのが正解とは必ずしも言えません。衝突時に右方向にも他の漁船が居た事が明らかになっており、イージス艦がスクリューの逆回転で急ブレーキを動作させたという行動は正しかったと思われますが、不幸にして間に合わなかったという事故なのです、決して事件では無かったとも思えます。
勿論双方が早い時点で回避行動を取っていれば事故は起きなかったことになり、責任は双方共にあると考えられて当然ですが、マスコミ、政治家など全てが自衛艦側の過失を追及するばかりで、漁船側の過失については言及せずに騒ぎ立てる姿勢には嫌気がするばかりではなく情けなさを感じます。
この感覚は自動車を運転するものであれば当然の感覚であり、大型のトラックやトレーラーの方が避けるであろうと予測して小型車を運転するものは居りません。自分の方が譲るのが当たり前であり、これが自分を守る当然の手段でもあるのです。
事故を避けるための注意義務は双方共に同じようにあり、前方がよく見えない暗闇の海上を全速力で突っ走り、大型の軍艦にぶつかっていった漁船の運転が正常であるはずがありません。前方無視、レーダー無視の様子から、酔っ払い、居眠りなどの原因が目に浮かびます。
堪りかねて、民主党の小沢一郎のサイトと福田首相のサイトに同じ意味の意見投稿を行いましたところ、それぞれに回答がありましたので紹介します。
小沢一郎;-曼荼羅様
ご意見ありがとうございました。
今回の事故は、海上交通の法律で定められたルールに従うべきだということです。漁船を沈めてはいけません。その為に見張り員とレーダーがあるのです。いずれ保安庁による調査の結果がわかりますが、自衛艦の過失はあきらかだといわざるを得ません。
小沢一郎
[首相官邸より]
ご意見等を拝見しました。
いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。
首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当
この返信を見る限りに置いては小沢民主党は防衛大臣を罷免させるチャンスと捕らえて、政治利用を計っており、一方では自ら保安庁の調査の結果が出るでしょうと言いながら、保安庁の調査発表前に一方的と思われる報道だけを頼りにして決め付けるような判断をしています。国の将来を思う政治家として支持者の一人であったのですが考え直しをしないといけないと感じさせられました。
首相官邸のほうはそつがない返信でした。
全ての国民が自助努力をせずに行政頼りと言う風潮が全ての事象について起きているように思われます。もしこの事故が自衛隊の艦船ではなくて、氷山だったとしてもなぜ事前に処置をしないかと責めるでしょう。こうした風潮では幾らお役人の人数を増やしても足りません。消費税も10%にしても足りなくなる筈です。
今回の場合でも衝突直前に身軽に方向転換できるのは漁船側だけであり、高速で突っ走ってきて寸前で回り込んで避ける心算りがミスをしたとも考えられます。被害者が死亡・行くへ不明として審理の外に置かれているだけではないでしょうか。
江戸時代の昔からお上(政治)に盾つくことが庶民の娯楽であったようですが、民主主義の世の中では自分達が選んだ政治なのだという意識も大事です。
結局、国の金で処理されると言うことは全国民が共同で負担することと同じであるのです。
弱者保護という思想は自助努力をしても社会が手をさし延べなければ生きてゆけない人に限定して行うものであり、なんでもかんでも弱い方に味方をするのは間違いです。
もし、この事件がアメリカで起こったのなら、もしくは中国で起きたのなら、どのように処理されたであろうかと想像してみるとほぼ推察がつきます。
アメリカであったのなら、片隅に小さく双方の前方不注意で海難事故が起きて漁船員2名が行方不明、沿岸警備隊が捜索中とでるだけで海軍の船とは報道されないかもしれません。一方で政府内、軍部内では徹底的に調査され再発防止に力を注ぐでしょう。また懲罰もあるかと考えられますが、マスコミには公開されないと思われます。
中国だったら全く報道されず、国民には何も知らされないでしょう。
多分殆どのその他の国に置いても、自国の海軍を悪者に仕立てるような報道がされるはずがありません。
ところがわが国においては正に悪人のごとくバッシングを行っていますが、漁船員にも家族があるように”あたご”乗り組みの兵士達300人にも同じく家族親戚はあるのです。
いったん事があれば命を掛けて国の為に戦う彼等をもう少し温かい目で見てやることが出来ないのでしょうか?
過去にも北方海域で操業していた漁船がロシア警備艇から銃撃を受けたり拿捕される事件が相次いだ時、漁船がロシア国境を超えて密漁していたという疑問に触れることなく反ロシア論議に明け暮れた日本の報道や政治姿勢と全く変わりません。被害者として扱われたほうが実は犯罪者であったことにもなり、日本人全体が犯罪者の味方であった如きにされてしまいます。
今回でも筆者のように漁船側にも大きな責任があるはずだという意見は沢山あるはずですが、全く取り上げられておらず一方的に自衛艦を責める声だけを報道しています。
筆者も数人の友人の意見を聞いてみましたが、皆同じように自衛艦側を責める声ばかりで、人によっては更に過激に国を責める声ばかりでした。付和雷同という言葉を思い浮かべてしまいましたが、それは報道が言っている言葉と同じじゃないかと指摘すると更に想像を付け加えて過激な論に走る。尻馬に乗るだけではなく上乗せして騒ぎ立てることが自慢の如きに感じられます。
別の見方や考え方があって当然、人が100人集まれば100通りの意見があるといわれる欧米諸国と比べると、余りにも自ら見えていることから自分で組み立てると言う思考力に欠けている国民性が恐ろしくなります。
今回の事件も発表と報道のあり方次第で、年間に数千人も死亡しているという交通事故の一つとして処理されてもいいような状況であり、イージス艦を犯罪者のように告発する報道は現時点では間違いです。海上保安庁の調査で犯罪とされるような重大な過失がでなかった場合には、名誉を失った自衛艦及びその乗組員にどのように対処するのか?報道の公平が求められます。
一方において、自衛艦側の監視体制、防御体制の不備については別の観点からの点検が必要です。
もしも反日グループの爆弾テロであったら、なす術も無く撃沈されていたことになり、本来敵の攻撃艇であったら接触以前にミサイルや砲で撃破してしまうのが本来の務めの筈です。
しかしこうした弱点の点検や調査は内部で極秘の内に行われるのが軍事の問題ではないでしょうか?国防上の弱点を公開しているようなものです。
夜間停泊中でも必要な監視体制を、公務行動中に怠っていたなどとは許されないことであり、平和ボケと指摘されるべきところもありますが、それをあからさまに暴き立てる事で溜飲を下げているのでは日本全体が平和ボケしていると言うことにもなります。
鬼の首でも取った様に防衛大臣の罷免を要求する野党、被害者(?)へ頭を下げに行く大臣、反省を口にする与党政治家など、報道に載せて宣伝することでしょうか?人気取りや迎合の報道や政治がまかり通って、辛口の評論を封じ込める日本の姿は、まさに世界の物笑いの種になっていると思いませんか?
海上保安庁が調査中であり、海難審判所が判決を下すまでは関係者がみだりに発言をしたり行動したりすることをしないということが鉄則のはずなのに、一体どうしたと言うのか?
海運会社勤務で海上交通には詳しい筆者が見て、本来は直前においても回避できたはずの行動を間違った方向へ舵を切った(結果的には自殺行為となる、自衛艦の舳先を横切ろうとした)漁船側に事故発生の大きな原因があると見られます。もし漁船の舳先が自衛艦にぶつかる状態であったならばどのように対応するのか、被害が自衛艦側に出たのであったのならば、どうであったのか、といろいろなことが頭を駆け巡ります。
実際に沈没したのは漁船の筈ですが、まさに海上自衛隊の最新鋭護衛艦「あたご」こそ最大の被害者であり、沈没してしまったのは「あたご」の側だったようです。
これは只の交通事故の一つにしか過ぎないのです。
オートバイやバイク、自転車などが大型車両に接触したりぶつかったりして死亡する事故は年間数十件を超えるでしょう。
「夜間に漁船が大型船へぶつかって壊れ、2名の船員が行方不明になっており捜索が行われています」、と3面記事で報道するレベルのニュースでもおかしくないのに、毎日一面の記事として華々しく自衛艦を攻撃する記事ばかりです。
海上自衛隊の艦船は日本防衛の要であり、もっとたくましくどんな敵にも屈せない強さを持っていなければなりませんし、そのように装備をし、訓練を重ねている筈ですが、全てを無に帰してしまうような馬鹿な世の中ではいけません。
こうしたことの積み重ねが軍の反乱とか革命事件になってゆく遠因なのでしょうか?日本では起こりえないと思いますが、彼らの気持ちもなにか判るような気がしてきました。
私は右翼国家主義者とは反対側に立つリベラリストですが、余りにも酷いので自衛艦側を弁護するような気持ちにさせられてしまいます。
また何事についても国や行政を責めるばかりで自己解決の道を取らない人たちが声大きく叫んでいることだけを取り上げて報道する姿勢にもうんざりです。
中国の食品についても批判がしきりですが、日本では生産する人がいなくなりつつあり、製品価格は需給の関係で取り合いですから、どんどん高くなっていきます。農業を嫌って都会へ働きに出たいと言う人々ばかりの国で、外国の農産品を輸入しなくなれば飢餓に陥るのです。
中国も日本の後追いで同じように進化してきていますから、彼らもこのままで行けばいつか食糧輸入国になるのかと考える時、世界食糧危機という恐ろしい問題が起きることになります。
前向きにものを見て考えることが大事ですが、常に一方的な情報だけを流すマスコミが更に悪い方向へ国民を誘導していくという怖さを感じます。
重要なことは反感を煽ることではなく応援と友好の精神で将来の為にも相互に助け合う関係を築くことだと思います。
世論を形成してゆくマスコミの自覚と責任、さらには政治家の良識も大事なことですが、マスコミ対策でその良識が押さえ込まれてしまっていることにも大きな危険が潜んでいます。
人気取りではない辛口の議論も必要です。中立なだけではなく、色々な方面からの取材も行い、幾つかの意見があることを紹介し、読者に判断させるべきであり、報道側が一方的に判断を下したような偏った姿勢は許されません。
北朝鮮、中国、韓国などとの間柄、靖国・沖縄・慰安婦などの戦後処理問題などについても幾つかの考え方があり、都合の良い部分だけを言うのではなく相手側の立場になって考えてみる、または第3者の立場で考えてみるなどの公平な見方が必要です。マスコミが偏った報道をすることで読者・即ち国民を誤った方向へ導いてしまう恐れは過去にも沢山例があったはずです。
外国人の見方・考え方に接するチャンスが少ない島国だからこそ余計にマスコミの責任は重いと感じています。
直近になって、ロス疑惑で過去話題になった三浦某がアメリカの司法当局から拘束されてアメリカで裁判に掛けられると言う事件が起きています。
犯罪人引渡し条約によってアメリカで起きた日本人の犯罪者を引き渡しを要求して日本へ連れ帰り、無罪放免したという日本の裁判をアメリカ側が容認していないと言うことでしょう。
もし彼がアメリカで有罪となったら、日本の裁判が否定されたと同じことですが、その可能性は大きいと考えられます。
アメリカの警察の考え方には尤もなところがあり、冤罪を恐れて無難に処理をしてしまった最高裁の判事達が逃げを打ったことに他なりません。
彼が有罪となって刑期を終えていたのであったらこの事件は起きなかったものと考えられます。
本来国は邦人の保護をするのが務めですが、この意味からいえば無罪の日本人をアメリカの司法当局が拘束して裁判に掛けることを拒否し、保護をすることが本来ですが、そういう根性も無いのでしょう。
政府も報道もそのことに触れようとしていません。他人事のごとくに放って置くのでしょうか?
日本は世界でも冠たる法治国家だと思っていましたが、実は全く違うようです。調査中の事象を想像や推定だけで犯罪のように声高に叫び上げ、逆に結果が出ているものも法律で決められた保護を受けられないという。
妻を殺したとして徹底的に報道が貶めた三浦某ですが、無罪判決を最高裁が下したことをどのように見ているのか。裁判を批判する報道も余りなかったように思っていますが、今回アメリカが彼を再逮捕したことを面白半分の報道姿勢で扱っています。
無罪の日本人をアメリカが逮捕したのなら抗議して開放させるのが国に課せられた務めなのであり、報道もそのように主張するのが当然なのに、心象的に彼を応援する気持ちがないのが明らかです。
勿論これは一般の国民全般にとっても同じなのでしょう。
しかし法律的には心証だけでは犯罪として罰せられないのです。
イージス艦、中国冷凍餃子などよく考え直しをして欲しいものです。三浦某のロス殺人容疑も同じ線上にあり、法治の精神とは全く相反したところで動いており、その矛盾にだれも口を出さないというか、報道に載りません。
筆者が特別の情報を持っている訳じゃなく、同じマスコミの報道から得た知識だけなのです。
誰にでも見えている情報から、感じられることを述べているだけにしか過ぎませんが、同じような意見をマスコミの報道の中に見たことがありません。私のように物を見る人が過半数居ても不思議ではないのに、特殊な見方だと言われかねないのが今の日本だとすると、情け無いものを感じます。
追記 最近裁判でイージス艦の士官が無罪になったというニュースがでました。
あれだけマスコミが叩きまくった海上自衛官の当直士官でしたが、犯罪者扱いをした当事者達が責任を取ろうとしていません。
政府、官庁、学者、マスコミほか当時自衛艦側の責任を大声で騒いだ関係者は多数居たはずですが、犯罪者扱いされた300人の乗組員や家族親類3,000人がいたイージス艦愛宕に対する謝罪もなく、こうしたことから軍人が革命を起こすという切っ掛けがでるのも宜なる哉という気持ちにもなります。
マンダム